(落合の宿舎の責任者で今は亡きY小母さんが記した達筆の「疎開日記」をも
とにした、現神戸市東灘区Mさんの手記より)母親代わりの宿舎のおばさんが
私たちに書き残して下さった、当時の日記を読ませて頂きますと、今更のよう
におばさんの愛情の深さと落合の温かいまごころを思わずにはいられません。
9月10日 今日は疎開児童の来る日、朝から中町婦人会の人々のお骨折り
にて町内より米を持ち合わせてオハギを子供達に与へるべく準備をして頂く。
1時5分着、町有志をあげて歓迎す。可愛い子供の姿を見ると涙が止めどなく
湧く。本当に子供は可愛い。心から愛情を持って、今日から新しい母になるべ
く一意務めたいものと思ってゐる。(注 1944年の日記です。)
9月11日 昨日、子供達が淋しがりはしないかとの懸念も無邪気に眠る姿
で心配もなく、一夜を過すことが出来得た。御両親は夕べ休む事が出来たか知
らと想像して差上げると、この姿を一目見せて上げたい様に思へる。私達のこ
の愛情が少しでも通じたのではないのかしらとも考へられる。
9月16日 今日は雨、子供達元気に登校する。一人の落伍者もない。日増
しに可愛くてたまらなくなる。午后はとって来たニナでお汁を作ってお八ツに
出してやると大変おいしいと喜んだ。田舎で初めて食べるニナの味に可愛い舌
つづみを打つ無心な姿、又しても涙をそそられる。夜、Oさん、Tさんの中で
寝てやる。大変よろこぶ。
9月30日 今日は子供達にお八ツなし。空腹をうったへられて可愛想でた
まらないどんな事をしても苦心してお八ツをこしらへてやりたいものと思ふ。
(96/03/13)
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