疎開2:ラジオで疎開の歌 トップページに戻る
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 落合に集団疎開していた当時の女児は、今年、還暦を迎えておられます。そ
の方々の手記(以後、全て2年余り前に書かれたもの)の一部をこれから数回
にわたって転載します。(現 芦屋市 Kさんの手記抜粋)【落合の日々】
  私は小学校3年生の9月から4年生の11月まで落合町で疎開生活を致しま
した。まだ幼かった当時は、親元を離れる淋しさがありました。その頃ラジオ
からよく疎開の歌が流れて、この歌を聞く度に祖母は涙ぐみました。
「太郎は父の故郷へ、花子は母の故郷へ
        里で聞いたは何の声、遠く離れた父母の声・・・」
  しかし学校の先生からも両親からも、必勝のためには子供達もお国のために
尽くさねばならないと教えられていましたので出発の日は、まるで出征する兵
士にも似た気持ちで神戸を離れました。疎開地でも先生から、「戦地で戦う将
兵の辛苦を思えば小国民として恥じない生活を送らねばならない。」と教えら
れ、私達も心からそうありたいと思い不平不満を言う者は誰もありませんでし
た。この気持ちが一年有余の疎開生活をしっかりと支えました。(中略)
  神戸と比較して落合の冬はずっと寒くて、朝登校する時サクサクと霜を踏ん
で歩きました。余程寒かったのか雪がちらついて手足が冷たくて、学校までの
道程がとても辛かった事ばかりが思い出されます。霜焼けができて指が赤く腫
れ上がり、そんな時の雑巾掛けやお便所掃除は辛いでしたが、戦地の兵隊さん
のことを思えば冷たい水にも負けずにお掃除ができました。(後略)

                              (95/02/20)