1996.01.18(木)
心経の岩屋城
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(岩屋山 イワヤヤマ) ここ岡山県北・落合町の東隣は久米町です。久米町の西端
の岩屋山483m(落合JCTの東北東約3km)に登りました。昨年の正月には
この山頂で初日を迎えましたが、今年は雪のために遠慮したんです。

(岩屋城)麓の駐車場は家から車で約20分ばかりです。この山は中国山地の
連山のように見えますが、どっしりした独立峰です。南は緩やかですが北と東
西は急で、山城には適した山容です。550年前に城を築き美作(ミマサカ)の国を
覇していましたが、わずか150年で終わり津山市に城が移りました。
  何故か今日は《般若心経》を唱えながら山を巡りました。

(慈悲門寺跡) 年末の大雪で太い杉があちこちに倒れ、物陰や窪みなどには
雪がまだ残っています。険しい岩ゴロゴロの谷道をしばらく登ると寺跡に出ま
す。ここは築城よりずっと前の平安初期に天台宗の高僧円珍が開基し、廃城と
共に廃寺されたそうです。礎石が並び、瓦のかけらや備前焼のかけらが散乱し
ています。平安から遠く離れたこの山寺で慈悲を説いている僧の姿が偲ばれま
す。《・・・色不異空 空不異色 色即是空 空即是色・・・》

(龍神池) 山頂も間近い谷間に池があります。1441年築城のおり山名氏
の本拠地・伯耆の赤松池を真似て、城の鎮守と生活用水を兼ねて造られたそう
です。お堂のなかに「探訪録」が置かれており、この正月以降でも姫路・神戸
・大阪などの方々も記帳されており、お詣りも多いようです。大杉の立ち並ぶ
神秘な谷間の池の真ん中に龍神の祠がまつられており、雪解けで水量の多い水
面には天守の木立が映っています。乱世の激しい攻防と、喜び悲しみを秘め今
に続いています。《・・・不生不滅 不垢不浄 不増不減・・・》

(馬場跡) 本丸の1段下に径108m長楕円形の馬場が広がり、正月イベン
トの初日を迎える人達が暖をとった焚火の跡があちこちに黒く残っています。
地面を這うツルリンドウが赤い実を濃くしています。もいで口に入れるとリン
ゴの味です。ハハコグサも一面にはびこり、てんぷらの美味が思い出されます。
これも豊作の酸っぱいフユイチゴも味わいました。側のタラノキの芽はまだ固
く閉じています。《・・・遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃・・・》

(本丸跡) 平な山頂には483mの三角点があります。東に津山盆地が広がり、
南下には中国自動車道とJR姫路新見線と国道181が東西に走っています。
南東には我が落合が、西には久世・勝山の町が山間に見えています。西に遠く
大佐山が頂を白くしています。北方面には白い星山や先日の妙見山が連なって
いますが、遠くは雲に入っています。
 北面はきつい崖で「落とし雪隠」と呼ばれています。毛利方の将・中村頼宗
は激しい風雨の中を決死の兵32名にこの「落し雪隠」をよじ登らせ火を放っ
て堅固を誇る城を落としたとか。《・・・得阿耨多羅三藐三菩提・・・》

(手のくぼり跡) 北東へ下って行くと、中腹辺りに山肌に大きな畦のような
筋が現れます。巾6〜8m、深さ2〜3m、長さ100mを超す竪掘りが麓に
むけて12条並んでいます。岩石を落下させて敵を防ぐためのものなんでしょ
うか。その「手のくぼり」を横切って下ると「もみじ滝」に出ます。わずかの
水が崖を伝って降りています。滝でない滝です。その崖の窪みに地蔵が奉られ
ています。《・・・是大神呪  是大明呪  是無上呪 是無等等呪・・・》

(岩屋城を守る会) 一時であれ美作の中心として君臨した岩屋城。山は廃城
後から400年間荒れ放題に荒れ、言い伝えも山城跡も人々の心から消えよう
としていました。20年ばかり前、地域リーダーのKさんは「岩屋城を守る会」
を結成しました。歴史を探り、私財をなげうって史跡の復元に尽くし、町にも
呼びかけ、やっと「城跡」の整備も軌道に乗って来たようです。あと少しの所
でKさんは倒れ、山に登れるように回復する望みはないそうです。無念でしょ
う。《・・・羯諦羯諦  波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆呵・・・》

(山行データ)
1月18日(木)冷たい強風 晴れたり曇ったり    14:30 登山口 220m
14:45 慈悲門寺跡 300m  15:15 龍神池       15:35 馬場跡 470m
15:45 本丸跡 483m        16:00  手のくぼり3-400m  16:30  登山口

please mail to akiyuki@soon.com(メール代理受:黒江彰之)