苫田(トマダ)ダムと住民の苦悩 トップページに戻る
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 8月29日に奥津町・建設省・岡山県の間でダム建設の基本協定の調印が行
われました。昭和32年にダム構想が発表され、激しい反対運動を経て、37
年ぶりに決着したものです。完成にはまだ10年以上かかる見込みです。
 吉井川の洪水調節と上水道・工業用水などの供給をするダムで、町中心部の
504世帯と330haが水没の計画。岡山県内の湯原ダム(わが家の上流)
に次ぐ3番目の規模。「ダム阻止」を町是にかかげ、建設省の立ち入り調査を
実力行動で阻止するなどの流血一歩手前の事態を繰り返してきました。
 10年ほど前から、水没補償に応じる住民が出始めました。長年くらしてき
たふるさとを離れ、つぎつぎと新しい居場所を求めて立ち退いて行きました。
300人位の児童がいた地元の小学校は数年の間に30人ばかりになり、学校
統合して廃校となりました。現在17世帯が水没地域に残っているそうです。
 今、「晴れ晴れとした気持ち。」「時代の流れでやむを得ない」「寂しい」
「ついに来た。」「たとえゴーサインが出てもあくまで阻止は貫く。」
いずれにせよ、水没地域住民の苦悩は想像を絶するものがあります。

                              (94/09/02)

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