[75] 日本最低山菜切山3m 
2003/2/23 (日) 20:20:52 日本低山学会
パネル文
菜切塚の伝承 此の地は、菜切塚(菜切山)と称し、武内宿弥の墳墓として、古来地区民に畏敬
せられてきた。現在、この一円を菜切山町と  はその古事を残すためである。菜切塚は、浜田町二丁目の武内家(浄専寺)に伝わる   は、「孝元天皇尊孫武内宿弥大臣、免位の後、難波松
浄専寺周辺)に住し給う。宿弥こう後此処に葬る。宿弥塚   あり、また、「宿弥の一子この地に留まり、代々朝廷に仕え  記されている。
菜切塚は、戦前までは環溝のある前方後円墳の形状をいていた。古記のよれば、崇徳上皇讃岐に配流の折、保元二年七月、浜田の池に逗留され「すくねづかの御製」を残されたとあり、文明年間の洪水で御製は流失したと言う。また、後醍醐天皇隠岐御遷幸の折、「菜切の里」にて御休幸の故事あり、現在武内家にその御宸おんの巻物一巻が保存されている。
後に明治四十三年七月、宮内省諸陵寮の調査があり、その記録には「当古墳は前方後円制にして環溝あり、巾前方十九尺後方四尺横三尺丘陵の高さ1丈六尺」ときされている。(武内家所蔵古文書による)
昭和十年代の大庄中部第一土地区画整理のため、環溝および拝所が東、北の幹線道路となり、従来の約半分足らずの広さになった。この菜切塚を市民に親しんでもらうため、市の管理のもと、菜切山緑地として保存することとなった。尼崎市・尼崎市教育委員会
注意事項:空き欄は駐車バイクのミラーが写って欠けた。

第3回世界水フオーラムアマチュア無線マラソンコンテスト速報2003年2月20日
消えた低山菜切山3m
(1)第3回世界水フオラム開催参加記念に水辺の消えた低山に登頂しました。2003年2月22日、2.5万分の1地図大和高田の乙女山72m、巣山60m、新木山60m、大阪西北部の菜切山3m。
(2)消えた日本最低山は尼崎市菜切山3m(地上高2.8m+路面高0m地帯で0.2m=3m、尼崎競艇場東北菜切山交差点西南隣接菜切山緑地、交差点地盤沈下の内陸0m地帯)、水ホーラム開催記念に復活を願う。
日本低山学会 大梅克義
tel  072−851−4087 移動時携帯 070−5651−6020
E―mail  jm3gvh@jarl.com 、HP url  http://member.nifty.ne.jp/jm3gvh/index.h
tml



[▼次のスレッド]
INCM/CMT
Cyclamen v3.73